北海道エナジートーク21 講演録

 
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エネフィーメール21
 
北海道エネルギー環境教育研究委員会

エネルギーシンポジウム2012
エネルギー政策を考える
   〜エネルギー選択と社会・経済の行方〜

(10-6)

エネルギーシンポジウム2012『革新的エネルギー・環境戦略』と原子力

原子力を正しく存在させるために

宮崎 チェルノブイリ事故は25年前。そこから学んだ教訓があって、各国はとっくに対策を取っていた。奈良林さんのお話のように、フィルターがあればそんなに違うなら付けておけばいいのにと思いますが、日本でなぜできなかったのでしょう。小沢さん、いかがですか。

 

小沢 私も、お話の途中で「なんで日本は付けなかったの」と言いそうになりました(笑)。そんなことを今さら言われても、放射能を浴びた人たちやそこで暮らす人たち、あるいは暮らせなくなった人たちにとっては、地団駄踏んでも追いつかないくらいの悔しさだと思います。

小沢 遼子 氏 例えば、核燃料の廃棄物については、一時期「トイレなきマンション」という言葉が流行りました。私が出席した会議の中で「廃棄方法が十分に検討されないまま、なぜ原子力発電がスタートしたんですか」と聞いたら、「使用済燃料の保管場所がいっぱいになる頃には、宇宙に飛ばすとか、どこかの国が引き受けてくれるなどで、何とか良い方法が見つかるだろうと考えていた」と。しかも、原子力についてはある時から批判がなくなったせいで、原子炉を増やすことにばかり目が行ったのではないでしょうか。「原子力は危険なものだ」という認識が、どこかで抜けていたのではないかと思います。

 ここ北海道には、一昨年も宮崎さんとご一緒に来たことがありますね。そのとき私がお話ししたのは、日本はエネルギーのほとんどを輸入に頼っていること。そのために資源を巡って戦争にでもなれば、日本は立ち行かないということ。だから自衛として、リスクがあっても、自国で再利用できる原子力に頼らざるを得ないとお話ししました。ですから、私は原子力発電に反対ではないんです。

 だけど危険です。原子力発電と原爆は全然違うけれども、少なくとも原爆を経験している私たちは、原子力はとても怖いというのを知っている世界唯一の国民ですから、これに関しては厳しく監視して文句を言っていかなきゃいけないと思っています。

 とても残念だと思うのは、デモをやるのは反対派だけだということ。単に反対と賛成になっているのが実に残念です。そうではなく、「原発はいいけれども、しっかりしろよ」という声があっていい。私は、原子力は何かと食い物にされてきた面が多いと思っています。全面的に反対じゃないからこそ、正しく存在させてほしいわけです。

 実は今日のために、こういう切り抜きを集めてみました。各新聞の原発関係の記事を切り抜いてみると、3日間でこのくらいの束になります。決して少なくないですね。ところが以前は、原発関係のシンポジウムをやっても記事にさえならなかったわけです。

 これからは、原子力賛成の人たちが積極的に注文を付けていかないとまずいと思います。だって、あれだけ熱心に引き受けてきた東海村の村上村長さんが、いま反対運動の先頭に立っていらっしゃる。「絶対に廃炉にする」とおっしゃっているんですよ。

 今だからこそ、原子力に関心を持てば持つほど、私たちがしっかりしていかないといけないと思います。世界と比較しても日本はすごくきれいだし、原発事故があったあとでも、テレビを観ると、電子レンジで作る料理の番組が増えています。コーヒーメーカーやスチームクリーナーなど、電気を使うものがむしろ増えているくらいです。「電気なしでやっていこう」という覚悟はしていないですね、この国民は。だとすれば、リスクを引き受けるしかない。そこのところを私は真面目に話してみたいし、皆さんのご意見も聴きたいと思います。

講演の様子

 

宮崎 まさに核心を突くお話だと思いますが、澤さん、どう思われますか。

 

 まったく同意見です。私は言論活動的な、あるいは政策提言的な意味では「原子力は必要だ」と事故直後から言い続けてきています。だからこそ思うことは、原子力コミュニティの人たちが、いかにこの事故で反省と改善に取り組んでいるかということが見えない限り、私もやる気を失くしてしまうわけです。そういう意味では、小沢さんのご意見は全く同感で、代弁していただいたと思っています。

 ここで少し、原子力産業会議でスピーチしたときの内容について、触れさせていただきたいと思います。

 小沢さんがおっしゃったように「原子力は危険だ」ということについては、もともと自民党と社会党が手を組んで原子力基本法を作った頃にはあったはずです。「日本は被爆国だからこそ、平和利用に限って原子力を進めていく。それが日本の復興に役立つんだ」という非常に強い思いでやってきた歴史があります。そうした草創期に取り組んだ人たちは、原子力の危険性について認識したうえで厳かに取り組んでいたのは間違いないと思います。

澤 昭裕 氏 また、そうした意識が緩んできたということも事実です。原子力コミュニティ、原子力エネルギーもそうですが、原子力というのはとにかく巨大な存在です。原子力発電所も大きいし、それを扱っている組織や利害関係者も非常に大きなコミュニティを持っている。従って、反対派の人たちからすれば、デモくらいやらないと太刀打ちできないという思いもあっただろうと思います。しかし実際には、コミュニティは大きすぎて、結局まとまりがない。むしろ、自分の世界に閉じこもって自分たちですべての問題を解決するという文化です。

 本来なら原子力は、ベスト・オブ・ベストの人材を集めて取り組むべき国家の大事業であるにも関わらず、今回の福島第一原発事故を見てもわかるように、土木工学の分野でベスト・オブ・ベストの人材が果たして福島にいただろうか。原子力の専門家はいたとしても、その人たちのノウハウですべてをまかなえるわけではない。例えば、瓦礫にあったときにそれをどうやって取り除くか。本来はそういうことも想定して臨まなければならないのです。

 原子力分野の人たちは「自分のところで起こるトラブルはすべて自分たちが解決していく」という考え方、ある意味ではプライドとも言えますが、その実、危なっかしいことをやっているかもしれない。そういう取り組み方を抜本的に変え、外部の目を入れることをしていかないと、原子力技術に対する信頼回復の道には遠いのではないかと思っています。原子力に携わっている個々人は優秀で良い人ですが、コミュニティとして見た場合に、そのガバナンスをどうするかというのは非常に大きな課題だと思います。

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