奈良林 私は1978年に大学院を修了し、すぐ東芝に入社しました。それから1年も経たない1979年3月、アメリカでスリーマイルアイランド事故が起こりました。原子力をしっかり開発しようという意気込みで就職したので、そのときの衝撃は非常に大きかったのを覚えています。
それからずっと、研究所で原子力発電所の安全性を高めるためのさまざまな試験や研究をやってきました。「パッシブ型安全システム」といって、もし事故が起きたとしても、原子炉が自分で冷却を開始し、安全を確保するための研究を1979年から進めてきました。論文を書いて学会で発表したり、国際会議でさまざまな専門家とディスカッションしたりしてきました。そうした成果を生かした発電所が世界で建設を開始しています。
ところが昨年3月11日、あってはいけない事故が日本で起きてしまった。非常に残念ですし、私がずっとやってきたことがなぜ日本の原子炉で採用されていなかったのかと考えると、非常に悔しい思いもしました。そして、甚大な被害を被られた地元の方々に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
安全性を高める働きかけをもっと強くやっておくべきだったと思います。事故以降、専門家同士で連携していろいろな提言を行いました。学生たちも、卒論や修論として非常に前向きに事故の分析に取り組んでくれました。この8月には、若手の先生が学生たちを連れて福島に除染作業にも行ってくれました。
私はまだ希望を捨てておらず、若い世代の学生たちが、原子力発電所を安全にするために、そして甚大な被害を被られた福島の復興のためにしっかり頑張ってくれるんだと思っています。私自身も、出来る限りの力を振り絞って頑張っていきたいと思っております。 |