北海道エナジートーク21 講演録

 
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北海道エネルギー環境教育研究委員会

エネルギーシンポジウム2012
エネルギー政策を考える
   〜エネルギー選択と社会・経済の行方〜

(10-1)

エネルギーシンポジウム2012「エネルギー政策を考える〜エネルギー選択と社会・経済の行方〜」
 

コーディネーター
  千葉商科大学 政策情報学部教授、学部長 宮崎 緑 (みやざき みどり) 氏
 
パネリスト
  21世紀政策研究所 研究主幹 澤 昭裕 (さわ あきひろ) 氏
  評論家 小沢 遼子 (おざわ りょうこ) 氏
  北海道大学 大学院工学研究院
エネルギー環境システム専攻 教授
奈良林 直 (ならばやし ただし) 氏
     


エネルギーシンポジウム2012『革新的エネルギー・環境戦略』について検証

エネルギー問題へのそれぞれの視点

宮崎 去る9月14日、政府が「革新的エネルギー・環境戦略」を発表しました。2030年代には原子力発電ゼロ、しかし核燃料サイクルは残すというもので、具体的な工程表が示されないばかりか矛盾に満ちた内容ですから、一体どうなるのだろうと思います。政治的リーダーシップの不在を言っても仕方ありませんが、エネルギー問題が政争の具にされそうな勢いです。しかし、私たち市民の立場から言えば、今日明日の生活がかかっているわけです。

宮崎 緑 氏  特にこの北海道のような寒冷地では、冬を乗り切れるかという切羽詰まった問題もあります。この夏はものすごく暑かったですが、何とかやりくりして政府の節電要請期間を乗り切りました。だからと言って、これからもできるという保証はなく、非常に歯がゆい状況に置かれています。

 こうした中で、私たちは何を考え、何ができるのかについて、今日はさまざまな角度からディスカッションを展開していただきたいと思います。3人のすばらしい先生方にお越しいただきましたので、最初は自己紹介を兼ねて、今の状況をどう見ているかについて一言ずつ語っていただきます。また、せっかくの機会ですから、最後に会場の方々のご質問を伺いながら進めていきたいと思います。

 まず澤さん、今の状況をどのように見ていらっしゃるのかについてお願いします。

 

澤 昭裕 氏  私はエネルギー政策や環境政策の分野に長年携わってきましたが、今の状況は本当に混沌としていると思います。あとで具体的にご説明しますが、「革新的エネルギー・環境戦略」はいろいろな人たちの話を継ぎはぎしているような内容で、エネルギー政策として全体像を捉えたものにはなっていません。ところが、現実には電力不足への不安は尽きません。北海道と同じく、この夏は私の生まれ故郷の大阪でも停電が心配されていました。今後もそういう不確定な状況が続くのではないかという不安を、皆さんと共有している状況です。

 

小沢 今日はお二人の専門家がいらっしゃいますので、私は評論家の立場で意見を申し上げたいと思います。今の状況を見ると「それ、見たことか」というのが実感です。

小沢 遼子 氏 20年ぐらい前、私は核燃料廃棄物に関する会議に呼ばれ、何もわからないままに、学者の皆さんのお話を「なるほど、そういうものか」と聞いておりました。その頃の緊張感に比べ、近年の原子力を取り巻く状況は緩いと言わざるを得ません。日本では原子力に対して誰も文句を言わない状況が、つい最近まで続いていました。しかも原子力は立地地域にお金を落とすということから、とても強い力を持っています。「この状況が続くと、いつか何かあったらどうなるのだろう」と思いながらも、福島第一原発事故のようなことが起きないよう願っていました。

 しかし、事故以上に無残なのは、現在までの体たらくだと思います。何か議論はあるらしいけれども、それがどんな形で今後の日本に影響していくのかが見えない。「アメリカは原子力をやめるなと言っている」「青森県はせっかく再処理工場を引き受けたのに、原子力をやめられたら困るらしい」など、事故が起こったこととまるで違う次元の話ばかりで、もっと物事を深く考えなければならないんじゃないかと。そうしたことを考えながら、非常に苛立たしい日々を送っております。

 

奈良林 私は1978年に大学院を修了し、すぐ東芝に入社しました。それから1年も経たない1979年3月、アメリカでスリーマイルアイランド事故が起こりました。原子力をしっかり開発しようという意気込みで就職したので、そのときの衝撃は非常に大きかったのを覚えています。

 それからずっと、研究所で原子力発電所の安全性を高めるためのさまざまな試験や研究をやってきました。「パッシブ型安全システム」といって、もし事故が起きたとしても、原子炉が自分で冷却を開始し、安全を確保するための研究を1979年から進めてきました。論文を書いて学会で発表したり、国際会議でさまざまな専門家とディスカッションしたりしてきました。そうした成果を生かした発電所が世界で建設を開始しています。

奈良林 直 氏 ところが昨年3月11日、あってはいけない事故が日本で起きてしまった。非常に残念ですし、私がずっとやってきたことがなぜ日本の原子炉で採用されていなかったのかと考えると、非常に悔しい思いもしました。そして、甚大な被害を被られた地元の方々に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 安全性を高める働きかけをもっと強くやっておくべきだったと思います。事故以降、専門家同士で連携していろいろな提言を行いました。学生たちも、卒論や修論として非常に前向きに事故の分析に取り組んでくれました。この8月には、若手の先生が学生たちを連れて福島に除染作業にも行ってくれました。

 私はまだ希望を捨てておらず、若い世代の学生たちが、原子力発電所を安全にするために、そして甚大な被害を被られた福島の復興のためにしっかり頑張ってくれるんだと思っています。私自身も、出来る限りの力を振り絞って頑張っていきたいと思っております。

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