それでは中越沖地震のほうに入りたいと思います。先ず、この写真は8月の20日頃に中越沖地震が起きたのは7月の半ばですから、1ヶ月位後にアメリカに持っていった映像です。ご覧のように、これは柏崎市での家の壊れた状況です。
これは発電所の中の状況です。道路の横に青いビニールシートが被せてありますが、このあたりが地震によって壊れた跡です。しかしながら、ご覧のように、原子炉建屋、ならびにタービン建屋というのはびくともしていません。
これは格納容器の中にあって、原子炉の中へ送り込む水をぐるぐる回すポンプ、この(写真5)の中央にある大きな青いのがそれで、ポンプAと書いてあります。このポンプはどのように設置されているかというと、原子炉から出るパイプに吊り下げられた構造になっています。20トンもあるが、重さはどのように支えているかと言うと、このポンプの後ろの下にスプリングがあり重さを支えています。地震がきた時に横ぶれしないようにダンパーが設置されている。ですから比較的地震が来た時には動く構造ですが、ご覧のように全然壊れていません。これを見てアメリカの専門家は感心して頷いていました。全然このあたり問題ありません。
これは発電所の頭脳に相当する中央制御室ですけれども、これも1号機から7号機まで全て全然壊れていません。
ところが一歩外へ出てみますと、これはタービン建屋のすぐ横ですが、ご覧のような惨状です。地震は考えてみると波ですから、太平洋でも日本海でも良いんですが岩のような頑丈なところがあるとバシャッとなりますね。地震も波と同じで、タービン建屋という岩盤に建っているしっかりした建屋のほうは問題ないのですが、そこまで来る時に、地盤は埋め戻しをしていますので、波と同じようになって、そこにバシャッといってこういうふうにぶつかって壊れているのではないかと思います。このあたりを今後耐震設計で、われわれは考えなければいけないなと考えています。
それから屋外の変圧器、これは普通のクラスに作っています。これですね、千トンもある重いものですが、やはり揺れてここにあるボルトが切れているのが解りますね。普通仕様に作ったものがこういうふうになっていますが、原子炉とかタービン発電機とか、そういう地震に強い構造に作ったものは全然びくともしていなかったということが、これからお解りいただけると思います。
壊れたところは変圧器だけではなくて、変圧器につながるダクト、これが曲がっていますけれども、そこの油が漏れて、この中には太い電気を通す銅のバーが通っていますが、それがショートして、火を発したわけです。しかし、それぞれの変圧器には防火壁があって、燃えたのは一つで、類焼することはなかったわけです。
構造が、どうなっているかと言うと、この(図9)の右側の陰がタービンの建屋で岩盤に繋がっているとお考えください。そして(図9)の中央の所内変圧器もまた、岩盤に支えられるように作られています。ですから、この二つは大丈夫でしたが、その間を繋ぐ二次ダクトは基礎を砂の上に置いてあります。従って、地震でダダッーとやられて、これがポッキリと折れてショートしたのだということがお解りになると思います。そういうところが今後の改善点です。