小沢 私が原子力の問題に関わり始めたのは政権交代のはるか前、自民党政権のころですが、政治家からエネルギー戦略について話を聞いたことは一度もありません。
当時何が話されていたかというと、原子力発電所の立地地域に何を建てるかについてです。学校や温泉施設を作るとか、そういう話ばかりで、それに反対する人がいると「反対運動をどう封じ込めるか」という話になる。原子力エネルギー政策について国会でまともな討論が行われたのは、私が知る限りでは皆無です。政治家に来てもらって円卓会議で話を聞いたこともありますが、学者の先生たちや賛成・反対の人、設計をした人や東海村の村長さんもいるような中で、エネルギーについてどういう議論をしていいかわからないという状態でした。
日本の原子力発電の歩みを振り返れば、もともと原子力を戦略的に活用したいという人はいました。そこで福井県が最初に手を挙げ、若狭湾で始めたわけです。
当時の知事さんや村長さんは、県内移動にも苦労しがちな交通の不便を改善し、将来に向けインフラを整えようと考えた。雇用機会を作ることも必要だった。「それには原子力しかない」と懸命に原子力発電所を誘致したわけです。ところが地元で反対運動が起きた。「なぜ東京で作らずに過疎のところに作るんだ」と。さらに村の人たちも「我々には危ないものを押しつけられた」という印象を持ってしまった。
つまり、一部の人たちには戦略があったけれども、国家がエネルギー問題という大きなテーマで戦略を持っていたわけではなく、「村おこし」のような短絡的な発想しかなかった。原子力はそういう不幸な生まれ方をしてしまったわけです。
また、原子力には反対運動が多くありますね。日本は被爆国であるにもかかわらず、前政権は長い間、他国に対して「二度と原子力を兵器に使うな」というリーダーシップを執ってこなかった。アメリカに対しても「他のことでは仲良くできるが、原爆を落としたことだけは認められない。しっかりと責任を持ってほしい」と一度でも政府が言ってきたかどうか。しかし、それとは別に「原子力はエネルギーとして必要だ」と考えればよかったんですが、被害者としての意識を一方で育てつつ、他方ではアメリカにきちんとものを言えずにいます。
沖縄の基地問題でもわかるように、日本国の依って立つところはどこか、日本が言っていいこと、遠慮したほうがいいことは何かを明確にしていませんね。アメリカや中国に対する姿勢を国民の目に明らかにしないままに、面倒なことは全部後回しにしていて、この国は政策を考えるという訓練をしてこなかった。政治家もしなかった。だから反対運動を怖がるし、逃げるんです。
原子力発電所が必要だから作りたいと思っても、言い出すと反対運動が起きるから怖がってやってこなかった。そういうことが、いまも影響していると思います。民主党だって、野党時代は違うテーマで自民党と闘ってきたわけだから、エネルギー問題を真剣に討論したことはないでしょう。政権交代したからといって、「原子力でこうやります」という戦略を急に求めても無理なんです。
また、先ほど韓国の話が出ましたが、私は韓国ドラマが好きでかなり観ています(笑)。現地へ行って片言ながら運転手さんと話すと「もう日本には負けない」と彼らは言います。というのは、韓国は中国や日本に占領された歴史があるために、自分たちの国を一流の国だと思えなかった。だから一生懸命です。近隣諸国への意識から「国ととして強くならなきゃいけない」という思いがあるんです。
日本はどうでしょう。占領されたも同然の歴史を持っていながら、日本の置かれている立場を冷静に考えて「ここだけは譲れない」「これはわが国だ」という風にやってくる歴史を持たなかったせいだと思います。
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