北海道エナジートーク21 講演録
 
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エネフィーメール21
 
北海道エネルギー環境教育研究委員会
 '10新春エネルギー講演会 
(8-4)
    「原子力を巡る最近の諸情勢〜泊3号機完成を振り返って〜」  

原子力の安全性の本質は何か

 

 ここで原子力の安全の本質について、復習したいと思います。お手元に「安全思想の変遷〜私の歩んだ原子力安全の道〜」という資料があります。これはハルピンで行われた国際会議で、話をしてくれないかと中国からの依頼があったものです。

 私はずっと原子力の開発初期から安全分野に携わってきましたが、中国は途中から原子力を導入しましたので、安全に関する昔話を知らないだろうと思って書いたものです。日本は敗戦国でしたから、戦後10年間くらいは原子力研究が認められませんでした。その間の勉強が臨界でした。日本はその苦労なしに原子炉を導入したために、JCO事故が起きたという話をしましたら、中国側も非常に興味を持ってくれて、安全の歴史をひも解く目的でこの資料を作りました。

 その後ベトナムからも「この話をしてください」とリクエストがありました。アドバイスとしては、まだベトナムには原子力発電所がありませんから、「安全性は大事だけれども、その前に原子力発電所とはどのようなものか、何があるのか、その全体をよく勉強しなさい」「建設のときに汗を流し、目を凝らしていろんなものを見なさい」ということがこの中に書いてあります。原子力発電所を完全に知ること、これが安全の第一歩、基本です。

 商業用原子力発電所の始まりは1956年、イギリスのコールダーホール1号炉が最初でした。日本では昭和30年、戦後10年に原子力発電が誕生したのですね。その当時、大量生産といえばシャツくらいがせいぜいで、いい品質で大量に工業製品が作られるという時代ではありませんでした。火力発電のボイラーにしても、水の液面を運転員が目視で確認していた時代でした。自動制御というのは、私たちの学生時代に最も新しい学問領域でしたし、システム工学もまだできていませんでした。しかし、原子炉を市民生活に持ち込むためには安全が第一です。人間の不確かな目に頼るだけでは、出力の大きな原子力では通用しないだろう。だから人に頼らない、「機械設備に頼る安全」を完成させようというのが、1950〜1970年代までの安全の考え方でした。

 原子力発電所を安全に作るには、まず設計段階で、放射能を持つ燃料が溶けるのを防ぐ。1次系の配管が破れるのを防ぐ。もしも万一のことがあれば、外側の格納容器で放射能を閉じ込める。これが原子力安全の原則です。それを達成するために、実際に原子炉を壊して、その安全を確かめる実験や研究までも行いました。

 そうしてでき上がった発電所の安全性が次の資料にある「原子力発電プラントのリスク評価例」です。原子力発電所の機械設備がどれくらい安全に作られているかを計算したものです。火災、爆発、ハリケーン、自然災害による死者合計、航空機事故、航空機による地上の人の死者、ダム破壊など人工物による死者合計が例としてあります。グラフの縦軸は、こうした災害が年に何回くらい起こるかという頻度で、横軸は死者の数です。つまり、小さな事故は起きやすいが、大きな事故はまれだということを図は示しています。ところでこの図から、原子力発電所は「機械に頼る安全」を徹底させることで、ざっと1000〜1万倍くらい安全に作られているというのがわかります。この図は最も古い計算結果ですが、その後研究はさらに進められています。

原子力発電プラントのリスク評価例

 こうした検証を基に、1970年代にアメリカでは100基余りの原子力発電所が建設され、ヨーロッパでも80年代に100基ほど作られました。日本では毎年少しずつ作られ、現在は国内で55基が運転されています。

 ところが「機械に頼る安全」で原子力の安全は成り立ったと思っていたのが浅はかでした。アメリカではスリーマイル事故(1979年)、旧ソ連ではチェルノブイリ事故(1986年)が起きました。これらの事故は私たち原子力研究者が、安全技術は完成したと思ったあとで起きたものです。

 何故安全な発電所でこのような事故が起きたのか、このしくみをお話する必要があります。例えばガスの場合、ガスを点けたり、止めたりするのはガス器具で行いますが、ガスを使わないときには元栓を止めます。ガスの安全性はそのように保たれていますが、原子力の場合はもっと厳しいです。元栓が壊れた場合を想定して、もう一つ元栓をつけなければならないようにしてあります。単一故障ルールと言い、更に一重の安全装置がすべてに取り付けられています。そのように設計されているので、1000〜1万倍くらい安全になるわけです。

 ところがスリーマイル事故では、働き始めた安全装置を全部、運転員が手で止めてしまいました。チェルノブイリ事故では6つの規則違反をしたうえで実験をしました。いずれも単一故障ルールを人間が大きく破ったことで、本来の安全体系とは違う状態にしてしまったことで事故が起きたのです。このようなことがあって、安全の考え方は変わりました。機械だけで安全を保とうという考え方に欠陥があったのではないか、機械だけでなく最終的には人間が安全を守るべきではないかという結論に達したわけです。

 機械はあらかじめプログラムされたことはちゃんとやってくれますが、例えば機械が2つ故障するなど、プログラムから外れたことが起きるとどうしようもありません。人間は不正確ではありますが、情報を集めて状況を判断し、自在な安全動作ができます。その訓練をきちんとしていくことが大事です。「機械と人間が調和・協力して安全を保つ必要がある」という考え方が明確に示されたのは1990年くらいのことでした。IAEAなどからそうした考え方が発表されました。日本ではちょうど平成に入ったころのことです。言い換えれば原子力発電所を"作るための安全性"から"運転管理のための安全性"へと考え方が変わっていったと申し上げてよいでしょう。

 しかし、アメリカでは1990年代初めは運転実績が伸びず、稼動率は60〜70%程度でした。なぜかというと、アメリカの規制機関であるNRCは「機械が1000倍くらい安全に作られているならば、それを運転する人間も1000倍くらい安全なことをやってほしい」ということで、細かいルールを安全規制として設けたからです。人間が一度に覚えられることには限界があります。いろんなルールができ、いちいち細かく指摘されるようになると運転員は嫌気がさします。気の利いた人は「勝手にしろ」と会社を辞めてしまう。それでアメリカの原子力発電所は、一向に稼動率が良くならなかったのです。経営者としても面白いわけがありません。

 実はアメリカは、90年中ごろ、40年間の原子力発電所の運転期間を延長しようとしました。ところが原子力の会社の経営者達がウンと言わないのです。「原子力は石炭と同じように安いが、規制がうるさく、経営的には全然面白くないので、もうやめようと思う」と言うのです。NRCもあわてて規制緩和を始めたというのが実情のようです。日本の電力業界もそれくらいの気概があるといいのですが、お役所からの親離れがまだできていないのは、非常に残念です。

 それを機にNRCは、原子力の安全のために重要な部分だけを規制して、安全性に直接響かない規制については介入しないようになりました。以来、アメリカはぐんぐんと運転実績を伸ばし、現在は稼動率95%になっています。

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