小沢 私も、お話の途中で「なんで日本は付けなかったの」と言いそうになりました(笑)。そんなことを今さら言われても、放射能を浴びた人たちやそこで暮らす人たち、あるいは暮らせなくなった人たちにとっては、地団駄踏んでも追いつかないくらいの悔しさだと思います。
例えば、核燃料の廃棄物については、一時期「トイレなきマンション」という言葉が流行りました。私が出席した会議の中で「廃棄方法が十分に検討されないまま、なぜ原子力発電がスタートしたんですか」と聞いたら、「使用済燃料の保管場所がいっぱいになる頃には、宇宙に飛ばすとか、どこかの国が引き受けてくれるなどで、何とか良い方法が見つかるだろうと考えていた」と。しかも、原子力についてはある時から批判がなくなったせいで、原子炉を増やすことにばかり目が行ったのではないでしょうか。「原子力は危険なものだ」という認識が、どこかで抜けていたのではないかと思います。
ここ北海道には、一昨年も宮崎さんとご一緒に来たことがありますね。そのとき私がお話ししたのは、日本はエネルギーのほとんどを輸入に頼っていること。そのために資源を巡って戦争にでもなれば、日本は立ち行かないということ。だから自衛として、リスクがあっても、自国で再利用できる原子力に頼らざるを得ないとお話ししました。ですから、私は原子力発電に反対ではないんです。
だけど危険です。原子力発電と原爆は全然違うけれども、少なくとも原爆を経験している私たちは、原子力はとても怖いというのを知っている世界唯一の国民ですから、これに関しては厳しく監視して文句を言っていかなきゃいけないと思っています。
とても残念だと思うのは、デモをやるのは反対派だけだということ。単に反対と賛成になっているのが実に残念です。そうではなく、「原発はいいけれども、しっかりしろよ」という声があっていい。私は、原子力は何かと食い物にされてきた面が多いと思っています。全面的に反対じゃないからこそ、正しく存在させてほしいわけです。
実は今日のために、こういう切り抜きを集めてみました。各新聞の原発関係の記事を切り抜いてみると、3日間でこのくらいの束になります。決して少なくないですね。ところが以前は、原発関係のシンポジウムをやっても記事にさえならなかったわけです。
これからは、原子力賛成の人たちが積極的に注文を付けていかないとまずいと思います。だって、あれだけ熱心に引き受けてきた東海村の村上村長さんが、いま反対運動の先頭に立っていらっしゃる。「絶対に廃炉にする」とおっしゃっているんですよ。
今だからこそ、原子力に関心を持てば持つほど、私たちがしっかりしていかないといけないと思います。世界と比較しても日本はすごくきれいだし、原発事故があったあとでも、テレビを観ると、電子レンジで作る料理の番組が増えています。コーヒーメーカーやスチームクリーナーなど、電気を使うものがむしろ増えているくらいです。「電気なしでやっていこう」という覚悟はしていないですね、この国民は。だとすれば、リスクを引き受けるしかない。そこのところを私は真面目に話してみたいし、皆さんのご意見も聴きたいと思います。
 |