エネルギー講演会
コロナショックからエネルギーを考える
〜歴史から学ぶ危機脱出のヒント〜
(3-2)
●日本にとってエネルギーは売り手市場
神津 自給しているように見えて、実はいろいろなところから調達して、うまく組み合わせて、国産品のような形をつくっているのかもしれないですね。それはエネルギーの観点から見ても太陽光や風力は国産かもしれないけれど自給ではないということになるわけですよね。大きく意味が違いますね。
金田 大違いだと思います。われわれは災害が起きたときに避難所に行きますね。避難所で電力がどれだけあればいいかについて、あまり意識する機会はないと思いますが、冷暖房や携帯電話などを考えても、最低限のエネルギーは必要です。それをどういう方法で実現できるかを考える必要があります。エネルギーの自給については、日本ではオイルショックのときにさんざん議論してきて、それで出てきた政策が「新エネ」「省エネ」「原子力」だったわけです。しかし、いまだにエネルギー資源を他国から分けてもらっている状況です。過去の蓄積がもったいないと思います。
神津 例えばいまはLNGにすごく頼っている状況ですが、自給できるエネルギーを持ったうえで交渉するのと、持たないままで交渉するのとでは、やはり違いますよね。
金田 全然違います。足元を見られてしまいますから。言い値ですよ。日本はLNGをアメリカの3倍の値段で買っているわけです。
神津 えっ、アメリカの3倍?
金田 そういう情報をほとんどの人は知らないまま「必要だから買っています」で済まされているんです。しかし、交渉材料がなければそういうことになりますよね。
神津 LNGの値段は石油の値段と連動しているとおっしゃっていましたね。どうしてですか。
金田 オイルショックのときにさかのぼりますが、石油で儲けた人がいるわけです。石油が高騰したときには、安いガスを出せばガスを買うでしょう。ガスが高騰したときには安い石油を出せば石油を買う。値段を上げるときには一緒に上げれば逃げるしかありません。決して良いことではないですよ。でも、国際社会では「皆で結託して、明日から石油の値段を上げよう。抜け駆けは許さない」とやっているわけですね。日本にそれをやめろという力はありません。エネルギーを「買わせていただいている」という立場ですから。
神津 買わせていただいているという形がずっと続いている。これは抜けきれない構造なんですね。石油の値段が下がったりすると、日本の電気料金やガソリンの値段が下がるだろうと思いますが、なかなかすぐにそのようにはいかない。これはどういうしくみなのでしょう。
金田 LNGガスを液化するにはものすごく巨大な設備が必要で、高額の投資が行われています。買い手が頭を下げて「何とか売ってください」となれば、価格は売り手市場になりますね。売り手からすれば、「われわれは高額な投資をしてLNGをつくってあげているんだ」ということですし、日本は安定供給が必要だから、20年間という長期契約を結ぶわけです。20年間、一定の値段で買わされることに加えて、コロナ禍で原油価格が下がったとしても、日本は「一定の値段で買います」と言ってしまっていますから、契約を無視して「安く売って」とは言えないわけです。
神津 そういう基本的なことをきちんと押さえたうえで、いま起きている現象を見ていかないと、間違ってしまうことが多々ありそうですね。
金田 そうですね。エネルギーを買ってくるのはいいけれども、値段は下がらないんです。余ってしまって「誰か買ってくれる人いますか」と聞いても、皆余っている。それで「安くするから買ってくれ」と言ったら莫大なコストがかかりますね。これが会社の経営を圧迫して赤字になるところが出てくる。不思議ですよね。安くなったら赤字になる。エネルギーの世界というのはそれくらい特殊です。

≪対談の様子≫
●時代のつなぎ目に必要な技術力
神津 振り返ってみると、かつて鉄腕アトムの時代に、21世紀には空飛ぶ自動車が登場すると思われていたけれど、実際に実現した技術の進化は、せいぜい腕時計で電話をかけられるぐらいのもの。そのように、夢は描くけれどもなかなかすぐには追いつかない。脱石油や脱原子力、脱ダムといっても、なかなか一足飛びにはならないとすると、そこのつなぎ目が必要だという気がしますね。
室蘭にある日本製鋼所に行ったときに、あそこはもともと軍艦の砲身をつくっていたところですが、第2次世界大戦が終わって一切仕事がなくなったときに、炉を止めるわけにいかないので、鍋や釜を一生懸命につくったということで、鍋釜でつないでいたんですよね。ですから、私たちはコロナで大変ではあるけれども、そうやって鍋釜でつないでいくという気持ちを持っていなきゃいけないんじゃないかと思います。先生、いかがでしょうか。
金田 いまの例えは非常にわかりやすいですね。なぜ鍋釜をつくらなければならなかったのかと考えると、製鋼所の炉は止められないからです。一度止めてしまうと、鋼が固まってしまいますから。
先ほどお話ししたLNGも同じです。冷却装置は止めるわけにはいかない。片や製鋼所の炉はものすごい高温で、止めたら冷えてしまう。逆にLNGはマイナス162度ですから、止めると常温になってしまい、再び冷やすのに莫大なコストがかかるので止めるわけにいかない。そのため、ずっと生産し続けますから、常に誰かが買って引き取ってくれないと困るわけです。それがさっきの海上に浮かぶタンカーの写真です。時代が求める技術も同じで、ずっとやり続けていかないと技術は消滅してしまう。技術の火は消してはいけないんです。
神津 資源がないのはしょうがないとして、それを助けるのは技術かなと思うんですが。
全然関係のない話のようですが、陶磁器のことを英語で「China」といい、漆器のことを「Japan」といいますね。ところが、日本の漆の自給率は2%にも満たないそうで、ほとんど中国産なんですって。昔は日本で採れていて、いまは中国産ということではなく、昔から原料は中国から入っているそうです。でも、日本の漆職人がすごく腕が良かったので、漆器のことを「Japan」と言うようになった。原料がどこであれ、それを良い漆器にする技術を持っていたから、漆の自給率が低くても「Japan」が漆の名前になったというんです。
これをエネルギーに置き換えると、そうした日本の技術さえも、いまやなくなっていると考えていいんでしょうか。
金田 日本の持っている技術がだんだん使われなくなっているという実感はありますね。例えば先ほどの太陽光発電でいうと、効率や品質の点では日本です。でも、買う人は安いほうを選ぶんです。車もそうですね。自分で買うときに「そう簡単に壊れません」と言われても、安さなど目先のことで進んでしまう世の中では、すぐにメリットになるものが選ばれてしまう。そうすると、なかなか長期的なメリットが理解されにくく、日本の技術を改良していくよりは「安いほうでいいじゃん」となりがちです。
神津 日本人は、「楽だから」という感覚でこういう状況を招いてしまったのでしょうか。
金田 日本の技術立国たる足元のところがぐらついているように見えますね。安ければいいんだったら、外国製を買ってくればいいだけですから。