北海道エナジートーク21 講演録

 
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北海道エネルギー環境教育研究委員会

エネルギー講演会
「環境とエネルギーについて、一緒に考えてみませんか?」

【第一部・講演】チームニッポン、強さの秘密

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【第一部・講演】チームニッポン、強さの秘密
 

スポーツジャーナリスト・大阪芸術大学教授 増田 明美 (ますだ あけみ) 氏

スポーツ環境と現役選手時代

橋本
橋本 登代子 氏 日本のエネルギー自給率は何パーセントぐらいかをご存じでしょうか。現在はわずか6%です。日本は国民生活や経済活動に欠くことのできないエネルギーの大部分を、海外からの輸入に依存をしています。そして、東日本大震災以降、化石燃料を中心とした輸入エネルギーを効率的に利用することが求められていますが、昨今のエネルギーセキュリティーや地球温暖化問題など対処しなければいけない課題が山積しています。これから私たちがエネルギーを安定的かつ持続的に確保するには、どのようにすればいいのでしょうか。本日の講演会で、増田明美さん、山本隆三さんとともに考えていきたいと思います。

 それでは第一部・増田明美さんの講演に入らせていただきます。演題は「チーム・ニッポン、強さの秘密」です。

 

増田 皆さん、こんにちは。本日は、エネルギー講演会にようこそおいでくださいました。

 私はマラソンランナーでしたし、マラソンを引退したいまも健康のためにほぼ毎日1時間走っています。エネルギーというと、私の場合は有酸素運動ですから自家発電でしょうかね。皆さんも、歩いたり、走ったり、エアロビクスをしたり、水泳したりと日常的に有酸素運動をしている人が多いかもしれませんが、酸素をエネルギーに変えているということです。

増田 明美 氏 いつも札幌にお邪魔すると、北大構内や大通公園などいろんなところを走ります。すると、「ここは空気がおいしいな」「ここは生活しやすい環境だな」ということを肌で感じることができます。今日は環境とエネルギーについて一緒に考えるというテーマですけども、私がいろんなところに行って感じたこと、体感したことなどを中心にお話を進めていきたいと思います。

 私が北海道にお邪魔するのは、今年に入ってこれで5回目です。まず6月が美瑛ヘルシーマラソン。7月には取材を兼ねて士別を訪れました。夏の暑い時期に実業団や大学生の長距離選手を合宿の里として受け入れてくださっていて、そこに行くとたくさんのチームの取材ができます。次に8月の北海道マラソンに解説として来て、9月には石狩市民スポーツまつりでお邪魔しました。

 8月の北海道マラソンには選手として1990年と1991年の2度出場しています。その頃はいまと違って、スポーツ科学というものが選手や関係者に浸透していない時代でした。私が走った1991年にようやく、走る前や後に出場選手の体重測定がありました。日本陸上競技連盟から科学班というのが数人やって来て体重チェックをされたのを覚えています。そして、終わったあとに血液検査。尿検査については、ドーピングチェックのためにそれ以前からありましたけれども。

 いまも記憶に残っていますが、1991年の北海道マラソンは暑かったですね。走っていても嫌になっちゃって。まだ35kmある、まだ30kmもあると思いながら遠いゴールを目指して、がっくりするくらいくたびれてしまって。そういうときは走っていても滅入ってしまうので、楽しみといえば5kmごとの給水ぐらい。そこで、自分で作ったアールグレイの紅茶の中にハチミツを入れておいたんです。

 でも、それもいまとは全然違います。いまはスポーツ科学が浸透しているので、同じ給水をするのであれば、スポーツドリンクのほうが発汗で失われたナトリウムやカリウムを補い、疲労回復を早くするアミノ酸も入っていますから、選手の多くはスポーツドリンクを薄めて飲むようにしています。私の現役時代は「水分と糖分さえ補給していれば最後まで持つ」という考え方が主流でしたから、糖分といえばハチミツだということで、5kmごとにハチミツの量を増やしていきました。アールグレイの紅茶に入れて。立ち止まるように全部飲んでゴールしたら、スタート前よりも体重が0.8kg増えちゃって。いま思えば懐かしいですね。

 1984年のロサンゼルスオリンピックはもっとひどかったですね。80年代は大変でした。ロサンゼルスオリンピックに20歳で出場しましたが、「夏のロスは暑いから体感温度が相当上がるでしょう。とにかく暑さに慣れましょう」と言われて暑さ対策をしましたが、それは暑い国に行って暑い中を走って、暑さに慣れるただそれだけ。いま思えばとても原始的でした。

 私は、宗兄弟と一緒にニューカレドニアに行って合宿しました。気温が最も高くなる午後1時にスタートしようと決めて、40km走を4回も5回も走りました。内臓が疲れたのか、背中がずっと痛いまま日本に帰ってきて、沖縄の宮古島で調整合宿をしたら、最後に5000mのタイムトライアルで地元の女子高校生に抜かれてしまって。そんな自信がない中でオリンピックに行ってスタートラインに立ったときに「これから42kmも走るのか」と、頑張ろうという気持ちが体からあふれてこない中でスタートを迎えたのをよく覚えています。

データに基づく客観性を大事に

増田 そういう80年代、90年代があって、いまは全然違いますね。いまの若い選手たちは、マラソンに限らず、どの競技においてもスポーツ科学が入ってきています。例えば、東京の国立スポーツ科学センターでは、選手たちは競技によっては1カ月も合宿をしますが、その間、泊まる部屋も低酸素状態にすることができます。標高3000mの山で暮らしているぐらいの低酸素状態を作ってしまうんです。そうやって寝ている間に心肺機能を高め、マラソン選手は低酸素の中で練習することができます。もちろん酸素の薄い高地に行って練習する人もいますが、日本国内でそれができるというのがすごいことです。

増田 明美 氏 リオオリンピックでは水泳の萩野さんや瀬戸さんが60年ぶりに表彰台に上がりました。その強さの秘訣がうかがえることとして、国立スポーツ科学センターに行って動作の解析などもしています。水の中でのフォームが確認できるような解析データを専門家が見せてくれます。データをもとに自分の弱点や癖と向き合っていく。すべてが一流ですね。80年代と比べるとずいぶん差がありますが、これが日本の強さの秘訣だなと思います。

 一方で、マラソンの名伯楽の小出義雄さんは「感覚も大事だ」とおっしゃいます。私もそう思います。でも、世界と戦ううえで、いまの選手がそうであるように、科学的かつ客観的なデータというのはとても大事だと思います。それがあるから選手たちは伸びているのだと思います。

 マラソンでは、ケニアやエチオピアの選手が強いといわれています。彼らは高地民族なので「生まれたときから2000m級の山で育っていれば強くなるだろう」と思われがちですが、実はいま、オリンピックでも世界選手権でもマラソンでメダルを獲るアフリカの選手たちは、ヨーロッパの良い指導者についています。ヨーロッパの指導者のもと、ああいう高地民族の方々が科学的なデータに基づいたトレーニングを積んで、ますますスピードを磨いています。鬼に金棒ですね。だから日本との差が開いていって。アフリカの中でも凌ぎを削りながらスポーツ科学を取り入れています。すごい時代になりましたね。

 データの大切さという点では、福島県に行きますと、2011年の東日本大震災をきっかけに放射性物質の量を心配する風評被害がいまもあると聞きます。私は子どもたちに走る楽しさを教えるために福島県の小学校にお邪魔することがありますが、どの小学校にもモニタリングポストが置いてありますね。数値を確かめ、「心配いりません」ということをデータとして示すというのは、暮らしていくうえでとても大事なことだと思います。感覚で怖がるのではなくて、客観的に見ることの大切さを感じます。

発展途上国の暮らしと電気事情

増田 私の活動として、発展途上国の子どもたちを支援する活動があります。特に貧しい国というのは女の子を後回しにしがちで、まずは男の子に食事を振舞い、余ったら女の子。教育も男の子が先という考え方が根強くあります。だからこそ、女の子を支援しようと。この活動は、国際NGO「プラン・インターナショナル・ジャパン」の活動ですが、写真を見ながらお話しさせていただきます。

講演の様子

<ラオス>
 2010年、タイのチェンライからメコン川を越えてラオスに行きました。山岳地帯に行くと、民族衣装を着た人たちに出迎えてもらいました。ここでは電気が通っていません。家はかやぶき屋根で、壁は竹や木で作られています。子どもたちは地べたで算数の勉強をしていました。子どもが10人ぐらいいる家族が多いです。この女の子は看護師になりたいという夢を持っているそうです。女性は勉強しなくていい、畑仕事をしていればいいといわれて育ちますが、お母さんはこの女の子の目標を叶えようと一生懸命でした。ただ、電気がないのでランプの下で限られた時間しか勉強できません。

講演の様子

 水汲みは女の子たちの仕事です。「川の水を飲んではいけません」「人身売買に遭わないように気をつけましょう」という啓蒙活動が行われています。電気がないので、発電機を使って灯りの下で紙芝居や人形劇などで啓蒙活動を行っています。

 私が子どもたちに「一緒に走るよ」と言うと、心を開いてくれました。仲良くなるには一緒に汗を流すことだと考えていて、私は子どもたちと必ず走ることにしています。

<トーゴ>
 西アフリカのトーゴには2010年に行きました。トーゴのサッカーチームの女の子です。トーゴは国民の所得が年間5万円という貧しい国です。男女の差別があり、2008年からドイツの支援により女子サッカーチームを20チーム作って活動したら、男性が女性を応援してくれるようになったり、女性たちもこれまで小さな声でしか話せなかった女の子たちが大きい声を上げるようになったりなど、サッカーを通して自信を持つことができるようになったそうです。サッカーを通して男性も変わってきて、地域も元気になってきたということが評判だったので見に行きました。ここは電気が通ったばかりでした。サッカーのハーフタイムのときに、人身売買に注意するための啓蒙活動を行っていました。マイクを使って多くの人に伝えることができるようになったそうです。

講演の様子

 ここは電気が通っていません。2000年ぐらいからドイツの支援が入り、診療所が作られました。しかし、清潔ではない設備が多いです。ドイツの支援で蛍光灯や冷蔵庫は設置できましたが、残念ながらまだ電気が通っていません。ある医師は「毒蛇にかまれてもワクチンを冷やすことができないので、町の医者に1時間ぐらいかけて移動してもらうが、患者が途中で亡くなってしまうこともある。早く冷蔵庫が使えるようになれば」と切望していました。道路の途中に電柱が準備されているのが見え、早く電気が通ればいいなと思いました。

<キリバス>
 こちらはキリバスの重量挙げの選手、カトアタウ選手です。この選手は競技後に不思議なダンスを踊ることで注目されました。その理由は、キリバス共和国は南太平洋の島国で、ツバルというサンゴ礁の島から近いのですが、地球温暖化が進んでこのままでは国土が水没してしまうということで、不思議なダンスを踊りながらその危機を訴えていたのです。

増田 明美 氏 私たちは、子どものときから空気と同じように電気があるのが当たり前で、停電なども起きない中で育っていますが、夜にも勉強ができたり、啓蒙活動ができたりするのは、電気の力が大きいんだなと思います。電気のないところに行くとつくづくありがたみを感じます。

 私は、子どもの頃から「電気教育」というものがあったらいいと思います。電気が当たり前にあるのではなくて、時にはサバイバルな電気のない生活を体験してほしいですね。そうすれば電気のありがたみも感じるでしょうし、電気エネルギーについて興味を持つことができます。また、キリバスのカトアタウ選手が身を持ってアピールしたように、地球温暖化についても、これからの環境をどのようにしていけばいいかについて考えるきっかけになるのではないでしょうか。

 私のお話はここでおしまいにさせていただきます。ありがとうございました。

 

橋本 ありがとうございました。チームニッポンというのはオリンピック選手のことだけでなく、日本に住む私たち国民ということなんですね。ありがとうございました。

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